作品・鑑賞
七月歌会の作品鑑賞 朝野クウー
一人食むバースデイケーキのホロ苦さ日々是好日願いて祝う 柏原ヒサ子
バースデイケーキは家族や友人たちに囲まれて食べるのが普通だが、一人で食むケースもある。哀しい気分で落ち込みそうになる。そんな時、禅語が浮かんだ。それでも今日は誕生日、感謝の念を忘れずに今日を良い日にしようと心奥で思った。
河原辺に友とふたりで桑の実を摘みつつ唱ふ赤とんぼかな 原田奈津子
映画のワンシーンのような歌。「夕焼けこやけの赤とんぼ負われて見たのはいつの日か」。三木露風作詞まさに郷愁抒情の歌。結句に切れ字「かな」があるが、赤とんぼは俳句に多く詠まれている。
染めあえぬ尾のゆかしさよ赤蜻蛉 与謝蕪村
町中や列を正して赤蜻蛉 小林一茶
肩に来て人懐かしや赤蜻蛉 夏目漱石
夏もみじ紅い翼果が空を向く「どこへ飛ぶの」と声かけてみる 守谷 りょう
毎月ポエジーな短歌を作られる作者だが今月も同様な作品。三句までが植物学の知識。もみじはカエデ科で、翼果=(よくか)は、果実の一種で、果皮の一部が薄い“翼”のように発達したもののこと。 この翼によって風に乗りやすくなり、種子を遠くまで散布するための仕組みとして進化した果実です。
羊羹の備蓄があれば気が休む朝の一口代わるものなし 笹谷 逸郎
嗜好品はひとそれぞれだが、作者は朝の羊羹である。嗜好品に限らず、歯磨き、洗面など習慣化された行為を行うことで日常生活が安定的に営まれる。もし、作者にとって朝の一口の羊羹が無かったとしたら精神的に落ち着かなくなり、ぽっかり穴の開いた一日となることでしょう。
養蚕に母の紡ぎし絹二反折々に触れて懐かしむなり 森 てい子
作者の故郷は加美町薬萊山の麓だそうです。むかしは何処の農家でも女性の仕事として蚕から繭をとっていました。母親が紡いだ絹織物が手元にあり、それを手に取ることで幼いころがまざまざと思い出されます。それは、絹の手触りと云う賜物だと思います。思い出の大切さを教えてくれる一首です。
雨あがり風鈴の音に夏きたる小暑大暑と続く暑さかな 飯土井智絵
最近の暑さは、これまでと異なり、三十度越が珍しくなくなりました。朝夕の風鈴の音は、その役割を超えるほどです。ご当地仙台はまだ良い方で愛知、岐阜、京都の内陸エリアは生命の危険を感じるレベルになります。この歌にある夏が失われるのもそう遠くではない気がします。
48の国もえあがりボールという平和の証し追うワールドサッカー 若柳 遊心
近代サッカーの発祥はイギリスで、大英帝国(ヴィクトリア女王時代)の存在がサッカーの世界的競技に大きく関わっている。今回は、カナダ、メキシコ、アメリカの三か国共催だったこと、審判の補助として、ⅤAⅠやボール内にセンサーを内蔵したこと、そして、審判にカメラを付けて臨場感たっぷりの画像を流したことも娯楽としての要素を高めたようだ。しかし、観戦チケットがリセール可能にしたことで数百万以上に跳ね上がったことが批判されてもいる。
吾のなかにあるしゃぼん玉君という日差しに温んでゆくを確かむ 小松 大祐
前月の作品同様、若者らしい清新さが感じられる歌。こういう歌は感覚で感じるしかないので、あれこれ分析しても始まらないと思います。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚などを感じさせてくれる歌を今後も期待します。
うり坊のやうな子どもが成人し悪さするなど親は思わず 丹取 元
ウーンと唸ってしまいました。テレビ、新聞で毎日報道される事件、事件を起こした本人にも親はいるでしょう。なぜ、そんなことになってしまったのか、生来犯罪を起こす気質を持って生まれてきたとは考えられえないわけで、多くは生い立ちの環境に由来することの方が多いでしょう。そこを裁くための裁判があるのですが。いづれにしても、まぎれもない事実があるのが現実です。
寒立馬吹雪に耐えて立ち尽くす生きねばなんねえなんねえ生きねば 朝野クウー
下北半島の東側北端の尻屋崎周辺の牧草地には寒立馬(かんだちめ)という馬が放牧されています。寒立馬は、寒気と粗食に耐え持久力に富む農用馬として重用されてきましたが、時代の移り変わりと共に激減。しかし、その後の保護政策により現在は三十頭ほどに回復しています。寒立馬は、厳寒期は、防風林で囲まれた越冬放牧地の「アタカ」に移動します。時折雪が舞う尻屋崎の風は、身を伐るような風雪のなか、津軽海峡と太平洋を背景にした真っ白な雪原で、雪の中から草をかき出しながら黙々と食べる姿が見られる。
■九月歌会
九月五日(土) 午後二時
青葉区中央市民センター 第4会議室






