打って良し投げて華麗なミスターは時代を超えても姿はあせず 遊 心
長嶋茂雄は、昭和という時代を象徴するスターだ。昭和三十三年にプロ野球デビュー。その華麗なプレーで人々を魅了した。野球選手で初めてショー(見せるプレイ)を意識した選手である。空振りで帽子を飛ばす、一塁への投球で指先をひらひらさせるなど観客を喜ばせるショーマンであった。
ほととぎす石蕗咲けば庭隅に手植えてくれし亡兄の後姿 森 てい子
作者は、春が来ると、ほととぎすの鳴き声、石蕗が咲くと、亡くなった兄の面影を感じる。ある光景(音・匂い)に接すると、忘れていた記憶がよみがえることがある。ある条件が提示されるとそれに対応して想起される「思い出」である。抒情を標榜する短歌にとってこの「思い出」は作品を詠むための広大なフィールドだと思う。
旗掲げ勇壮華麗に女騎手駆けあがりゆく野馬追の丘 小 町
今年から相馬野馬追に出場できる女騎手の条件が変更された。従来の二十五歳未婚女性が、年齢既婚未婚の条件が撤廃された。フェミニズム、性差別が関わったようだ、これまで、出場したくても出来なかった女性が出場できて、祭りに華やかさが加わったと記すのはセクハラになるのだろうか。
青春を遊び学んだ悪友を見送るさきにハンカチの木 智 絵
レクイエムの一首。青春時代を共に過ごした友人が逝ってしまったことへの悲しみ嘆き。その心情を詠むことは難しい。ありきたりの表現に堕する可能性がある。この歌は結句に「ハンカチの木」を置いたことが成功している。お別れに振るハンカチ、涙をぬぐうハンカチ。悲しみの象徴。
海霧にかすむ彼方の島の影今宵は岬の宿に寝るべし 丹取 元
いい感じの叙景歌。歌意は改めて言うまでもない。詠まれている風景を頭の中で想像するだけでいい。結句の「べし」について。べし(可)助動詞 ベク、ベク、ベシ、ベキ、ベケレ 推量して定めるの意。命令。断定の意。
〇火の山にしばし煙の断えにけりいのち死ぬべくひとのこひしき 若山牧水
〇着物売り服を売り一束の札あれば又新しき年を待つべし 扇畑忠雄
人の目をはばかることの今は失せスクワットするバス待ち時間 笹谷 逸郎 後期高齢者の身体状況は人それぞれだが、それも生来の体質に加え、来し方の運動生活習慣も関わってくる。自己責任と言われればそれまでか。以て「他山の石」とすべき一首と云うのは穿ち過ぎか。
十六時いつものカバン肩にかけ夜間業務にクルマをとばす 朝野クウー
わたしは、古稀を超えたが今もパートで夜間の仕事をしている。こんなに仕事を続けるつもりはなかったのだが・・・。仕事があると気力も維持できるし、働くために体力を保持しなければならないから、そこそこ運動もしている。そして、最近の物価高と国保や介護保険料の増税も大きな要因である。暴走老人ならぬ「抗う老人」でありたい。
食べ放題飲み放題の広告に真先によぎるガザの配給 原田奈津子
この歌も歌意は明白だ。ただし。この歌を読んで、どこまで読み手は考えるのだろうか。ガザの人々への食糧配給は限定的でイスラエルが妨害している、日本の食糧事情の混乱ぶり(子供食堂、廃棄食品の多さ、120分飲み放題食べ放題のチラシ。加えて最近の米騒動から発する「食料安全保障」)
(鑑賞 朝野 クウー)