8月1日 NEW UPとぽす会員7月歌会 作品・鑑賞

とぽす会員7月歌会 作品・鑑賞

月の浦政宗の夢遥かなり沖をゆくのは巨大タンカー          笹谷 逸郎 

 「月の浦」とくれば、政宗の家臣支倉常長のローマ派遣(※1)である。幕府の意向も受け外国との直接貿易を企図した。しかし、常長が帰国した時は家康も没し、時代はキリスト教禁制へと急転回しており、生類憐みの令を発令した徳川綱吉の時代。政宗の使節派遣は仙台領内においてすら忘れられていた。 作者はその歴史をサンファン館見学の時に幻視した。なお、「月の浦」は牡鹿半島コバルトラインの中ほどにあり、現地には支倉常長像が建てられている。

 

薬売り行李ひろげてふくらませ紙風船を「ホイ」とわたした        小 町

  「置き薬」が無くなったのは何時の頃からだろう。いわゆる行商(富山のクスリ売り)である。どの家にもクスリ箱があり、定期的に各家庭をクスリ売り人が回って歩いた。使った分だけを代金として回収して行く仕組みは「信用売り」とも呼べるだろう。そして、子供には、おまけとして紙風船をくれたものだ。現代のようなおもちゃは無い時代、そんな素朴なものでも子供にとってはうれしいものだった。


コロナ禍が抜けきらずいて昼食時マスク外せばあんた誰かね 
     遊 心

 新型コロナウイルスが収束して、「5類移行」なったのが二〇二三年五月、全世界を「パンデミック(※2)」という言葉が席巻した。それから、日常生活も元に戻ったと云えるようだが、マスクを付ける習慣は残っているようだ。会社組織、役所、警察などで発令したものが、そのまま定着してしまったようだ。マスクをすると守られている感覚になる。長期間マスク顔しか見ていない人がマスクを外したら誰かわからない、なるほどそうかも。変に納得させられた一首。

 

日陰道花の終わった藤棚に風鈴の音短冊ゆらす              智 絵

季節の風情を詠んだ。日陰道は作者の造語で、「日陰道」という固有名詞があるので、混乱するかもしれないので要注意だろう。情景としては、花が終わった藤棚に風鈴が吊り下げられている、その藤棚の中を風が抜けていく、風鈴が鳴り、短冊が揺れる。藤棚と風鈴の取り合わせが映像的である。


白つめ草生うる芝生に雀二羽しきり歌えば吾も唱和す
      森 てい子

 情景がわかりやすく詠われている。白つめ草、雀の取り合わせが「カワイイ」。白つめ草の愛らしい姿、雀のちょこちょこと動く様子とちゅんちゅんという鳴き声が相まって情景を効果的に浮かび上がらせる。それらに加えて作者が興にのって歌を口ずさんだ。かわいくて、愛らしくて、たのしい歌である。


郭公の啼く声きけばはるかなるふるさとを恋う父母を恋う      丹取 元

 父母を恋う、は広い意味での「相聞歌」になる。辞典によると「相聞」は交渉、報告、訪問、音信などの意。つまり、互いに意志を伝えあうことであった。「万葉集」では、私情(親愛、悲別、慕情など)を伝えあった歌の意で、ほとんどが恋の歌である。

 

中州より匂ひ立ち来る若香魚の炭火を囲む名取川原に          原田奈津子

 嗅覚の歌はあまり見ない。炭火で香魚を焼く匂いは香ばしくて食欲をそそられる。文法的に、「より」は格助詞 ①比較の意 ②否定表現とともに用いて他のものを排除してそれに限ることを示す。「こうするよりしかたがなかった」 ③動作・作用の起点を示す。この歌では③となる。

 

名掛町西口地下道廃止され昭和が消えるまたひとつまた       朝野クウー

 仙台駅の西と東を結んだ地下道が、ガラス張りのエレベータ付の近代的な跨線橋の完成により廃止された。あの暗くコンクリートに囲まれた薄暗い照明の地下通路に若い頃、わたしはアウシュビッツのガス室に通じる印象を持った記憶がある。。

 

 

■次回歌会 九月六日()  午後二時 

場所 青葉区中央市民センター        

 (鑑賞 朝野 クウー)

 



令和7年  5月歌会 作品と鑑賞

 

【5月歌会の作品と鑑賞】   

      朧なる春の夜空の星たちは迷子となって満天星に咲く     宮野 小町

  とても詩的でロマンチックな歌ではないでしょうか。春の雰囲気はたしかに朧と表現したいところ。それ  は  春の夜空にうかぶ星にも共通する。その星達は作者に降ってきて、ベランダの満天星に定着した、という星をめぐって展開するポエジーに結実しました。

 
若者のやばいとめっちゃ江戸時代すでに使われ今後も変化     遊   心     

なかなかユニークな視点からの短歌。短歌は言葉からできているから、その足元に光を当てることは納得できる。作者によると、やばいは「矢場
()」、めっちゃは歌舞伎から発生したという。こう考えると、日常に使われている俗語も立派な由縁があるのは楽しいことである 


   
   


金蛇さん石に浮かんだへび達はさいふを当てられ黒光する        智  絵

金蛇神社をはじめ、人々は神社に親しみを込めて「○○さん」、「○○さん」と呼ぶ。小難しい教義などは無用で、現世利益(げんせいりやく)の信仰を集める。作者は石に刻まれた蛇が黒光りしているところに着目した。商売、金運のご利益を求めて人々は財布を密着させる。細部の表現については、「へび達」は「蛇たち」に、「財布を当てられ」の「を」は音数からも不要でしょう。

   SNS毎日使えばそれだけでヴァーチャル世界に取り込まれゆく    朝野クウー       

     SNSによる誹謗中傷を苦にしての自殺がニュースになっているが、私の世代だとそんなのを気にするなんてと思ったのだが、よく考えてみると、直接的、間接的を問わず私も影響をうけていることに気づく。話が変わるが、新聞の購読者数が減り、テレビを見ない若者はめずらしくない。つまり、スマホだけが情報の入手手段である。それで、社会性が担保されるとは思われない。ネットSNSで知り合った若者間の事件が起こっているが、危険を察知する能力が欠如していると言える。 


窓開けて夜更けの空を眺むれば流星ひとつわれに降りくる
      森 てい子
 
作者は丘の家に住む。その家は平地から空を見上げるより、空が近くに感じることが想像できる。残念ながら流星はそれが暗くないと見ることがむずかしい。私の家は、高台にあるが、ベランダの向こうには煌々と光る高層ビル群が聳え立っている光景しか見えない。


色さびて辛夷の花の散りしける参道めぐる虚空蔵尊の          丹取 元

 色さびての「さびて」は、さび・る【寂】は文法的には、さびれ、が正しいようだ。おとろえる、さびれる、すさぶの意。散りしけるは、「散る」と「敷く」の合わさった動詞で「敷ける」は散る(動詞)の連用形に接尾語的について、一面に散り広がる、の意味となる。下の句は虚空蔵尊の参道めぐるが標準的なところを倒置表現したのは、「虚空蔵尊」を強意することになり、評価が分かれる所だろう。

 ゆくりなく飛行機の音の鳴りゆけりあゝ我はいま下総にゐる      梨本 卓也       

   ゆくりなくは、思いがけない、不意にの意味。上の句、下の句もいわゆる直接的な感情はうたっては
いない。代わりに「あゝ」の一語が効果を最大に発揮している。


美言にて褒めちぎりたる蕉翁の松島への本音如何にありしか     笹谷 逸郎

  作者は奥の細道の「松島」について疑問を投げかけている。そこで「松島」に部分を取り上げてみたい。 

 抑々事ふりにたれど、松嶋扶桑第一の好風にして、をよそ洞庭・西湖を恥ず。() 東南より海を入れて江の中三里、浙江の潮をたゝふ。  嶋〱の数を尽くして欹(そばだつ)ものは天を指さし、ふすものは波に匐匍(はらばう)。あるは二重に重なり、三重に畳て、左に分かれ右につらなる。負るあり、抱るあり、児孫愛すがごとし。松のみどりこまやかに、枝葉汐風に吹きたはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。其気色睿然として美人の顔を粧ふ。(千早振神の昔、大山ずみのなせるわざにや。)造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽さむ()

 【訳】 傍線部

(一) いまさら松島のことを述べるのは言い古されているようだが松島はわが国第一の風景であって中国の洞庭湖や西湖に比べても決して劣ることはない。

(二) 松島の美しさは見る人をうっとりさせるような美しさで、美人がその顔に化粧したような趣がある。(中略) 自然を作り給う神の働きの、みごとさを、人間の誰が絵画や詩文に表現できよう、いやできるものではない。          

■芭蕉紀行 嵐山光三郎 著 (抜粋)

奥の細道」松島の文章から屏風絵のように立ち上がってくるではないか。なんと分厚いぶんたいだろうか。白河の関の描写には俳諧のしなやかなユーモアがあったのに対し、松島は漢詩文調である。「句が浮かばす眠ろうとしたが眠れない」と芭蕉は告白している。あまりに絶景のため句が生まれないというのである。それで、曽良の句として、

 松嶋や鶴に身をかれほとゝぎす

を書き留めたのであるが、これも芭蕉の句である。松島では、鶴の姿に身をかりて鳴きわたってくれ、ほととぎすよ、という呼びかけの句で、松に鶴は付合いである。松島では芭蕉は「嶋ゝや千ゝにくだけて夏の海」の句を得ており、これは島が幾千にも海にくだけ散っているという動きのある景観で、句もまた千ゝにくだ字けて散り、「松嶋や・・・・」の句よりこちらの方が雄渾である。にも拘わらずこの句を捨てたのは、松島の章では、意図的に地の文だけで読ませようとしたためと思われる。

 『細道』は句文融合の歌仙形式をとり、松島では地の文だけで風景を立体化させようという気魄があった。句を詠めなかったという独白は地の文を主舞台にあげる仕掛けであり、「風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ」と言ってみせるのである

                                     [鑑賞 朝野 クウー]    

                                                 

🔳次回歌会 令和7年 7月5日() 午後二時 
      場所 仙台:青葉区中央市民センター
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