芝の上ひとり芝居のごとくにもすずめの啼きて終演となる 森 てい子
細やかな観察眼が生んだ歌です。芝の上の雀に焦点をあて、そのちょんちょんと弾むような動きがひとり芝居に見えた。「ひとり芝居」と詠んだことに作者独特の表現力が光る。ちゅんちゅんと啼いたことを芝居の終演と結んだこともオリジナリティに富んでいる。
昨夜来一番風がふきぬける口笛吹いて枯れ木を揺らす 若柳 遊心
春一番を詠んだ歌だと思う。時期的には三月の第一週目くらいだ。地面の砂を巻き上げて吹きまくるちょっとした嵐でもある。顔や目に地面の砂が当たるので顔を上げていられない。作中の口笛は「もがり笛」に近いだろう。強い風が竹垣や枝、電線などに当たって鳴る笛のような甲高い音。客観写生に徹する歌。
三月に思い出すのは灰色の木蓮のカップ割れた日のこと 守屋 りょう
わたしはこの歌を植物の木蓮と取ったのですが、時期的に木蓮が咲いたとすると、少し早いとは思います。木蓮のカップは花の比喩と解釈しました。作者のコメントでは、木蓮のカップは木蓮柄のコップとのこと。超個人的な思い出を詠んでいるわけですが、そこは詩文学として解釈は自由です。木蓮の花の咲くすがたはパカっと割れたように見えます。雪を被って咲いている寒椿の様子を「雪の重さを受けて」と表現した点に注目した。花弁の赤さと空の青との対比もよく、観察の行き届いた叙景歌になっている。
定量を探り乍らの一人酒痛風がこの身に宿り三年経ちぬ 笹谷 逸郎
まず、下の句がやや散文的なので、韻律を整えて、痛風に罹ったのは作者と予想されるので、「痛風宿り」と圧縮していいのではないでしょうか。それにしても、上の句は切ないです。痛風が怖いので、飲みたい気持ちを抑えながらこのくらいなら大丈夫だろう、いやちょっと多いかと揺れる思いが読者に伝わってきます。
ジャズコンで若き自分をなつかしむツイストチャチャチャペットもうたう 飯土井 智絵
だれにも青春時代がある。楽しい思い出、哀しい思い出、いろいろあるが、作者は音楽にあわせて踊るのが好きだった。ツイスト、チャチャチャは時代を感じさせる。私もダンスパーティに参加したことを思い出した。おそらくお酒もそこそこ飲んでいたのではないでしょうか。
「子孫には付けを残さぬ」豪語すもすでに残せる
こういう社会性を有する歌は、解釈自体は分かりやすいので、同感で終わらせてしまいがちです。豪語しているのは、原発建設積極派でしょうか。せっかくなのでこれを機に調べてみるのは如何でしょうか。これも短歌だからできる問題提起だと思います。
冬枯れの葉を落とさずに芽吹き待つくぬぎの木立いたく侘しも 丹取 元
冬枯れの葉をつけたまま寒空に立つくぬぎの姿に作者は自らの心を投影したのかもしれません。
三月は別れの季節青年よ前だけを見て行けBon Voyage 朝野 クウー
転職する青年へ向けたはなむけの歌






