4月歌会 作品・鑑賞

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作品・鑑賞

四月歌会の作品鑑賞  朝野クウー

 

あかね雲のはざまの光浴びにつつ二羽の雀の芝生にうたう 森 てい子

  この作者独特の細やかな感性がひかる歌。上の句は主人公の雀を包むひかりを詠んでいる。ふつうならあかね雲の空の下、とかと詠むところだが、その情景をさらにていねいに、「はざまの光浴びにつつ」と描写しているところが特筆に値すると思う。雀の姿が詳細に描かれており、読む者はその情景を目の前にしているような感覚に引き込まれる。「に」の助詞につぐ「つつ」助詞は時の完了を示す助動詞の重なったもの。一つのことをしながら、他のことも併せなす意をあらわす。

 

満足を満足たらず欲望は我らの祖先ホモサピエンスか   若柳 遊心

 

薄切りの大我ら人間の欲望はどこまでもきりがない。特に十八世紀の産業革命以降のエネルギーの発明は、それ以降の科学技術を幾何級数的に発展させてきた。そして、近年の携帯電話と<インターネットの普及を見るにおよんで、人類は神の領域に踏み込んだと言っても過言ではない。一昔前までは、公衆電話で掛けられるのは会社か個人宅の固定電話しかなかった。一歩外に出れば個人間での連絡は駅の伝言板しかなかった。インターネットに及んではたった三十年前に普及したのでありそれまでは軍事技術に属する特殊なものであった。世界中を一瞬のうちに情報は駆け巡り、中国や北朝鮮など専制国家を除いては国家の垣根を超えや誰でも世界中にニュースに触れることが発信することができる。そしてこれからの時代は人知を超えて「AI」が世界中を席巻することは間違いない

 
薄切りの大
根のごと朝の月夜明けとともに空に消えゆく   守屋 りょう

 優れた直喩の例と言える。直喩は比喩の一つで暗喩も比喩もひとつ。ここでは直喩について辞書を引いてみたい。たとえるものと、たとえられるものを明示してたとえる技法。まえに「ちょうど」「まるで」「あたかも」などを付けたり、後に「ようだ」「ごとし」などをつけるのがふつう。たとえるものとたとえられるものの共通点が比喩になるのだが、この両者の関係が遠いほど共通点が小さくなって、すぐれた独創的な直喩になる。
()「彼の気分は井戸水のように落ち着いた」(佐藤春夫)の例では気分と井戸水という無縁なものの組み合わせが効果をあげている。この「薄切りの大根のごと」は、主婦ならではの視点が大事な役割を果たしたすえに生まれた優れた比喩と云える。

 

一日の最初に食べる羊羹のこの一切れに気力を貰い   笹谷 逸郎

 高齢者は自分の習慣と結婚するという諺がある。作者にとってはれが体調にぴたりなのであろう。小さな羊羹を口にすることで糖分が血中にまわり、頭脳に行きわたることで脳の機能がているので働きだすという事だろう。朝目覚めてから、すぐに活発に動けるのは何歳くらいまでだろうか。私六十五歳ころまでは、目覚めたらすぐに起きだして動いていたようにおもう。ちなみにわたしの場合は、ドリップコーヒーを一杯のむ。一端苦みに慣れたうえで耳疾患の苦い薬を飲む。そのあと、砂糖入りのコーヒーを飲んで、クスリの苦さを打ち消すのが日課である。

 

キンカンの青き一枝おくられて言葉にならぬ別れのつらさ  飯土井 智絵

 優れた歌のかたちの一つとして、読み手の想像力を惹起させる歌がある。歌集作品の中の連作(題がつけられていることもある)中に置かれている場合はその前後の歌から特定の状況が推察されるが、この歌の場合は読み手がその状況を想像しなければならない。二人の間に「キンカンの青き一枝」がなんらかの役割を果たしていることが容易に想像できる。その反対に何の関係もない場合もありうる。選をするのに躊躇われる歌ではあるが、想像たくましくして評するのも一興かも。

 

雨の日をこころひそかに待っている美しき仕立ての傘を手に入れ 丹取 元

 歌に男歌、女歌があるとすれば、一般的にはこの歌の姿は女歌になる。美しい仕立ての傘を開く日を待っているのは、女性でなければならない。作者は男性ですが、女性の心理にすこぶる通じておられるようです。男性の影もちらついている。雨の日にしか会えない関係のひと、なにかミステリアスではありませんか。一編の短編小説にでも仕立てられそうな歌です。

 

幼子をふたり残してひとり逝きしより三月が経ちて今さくら咲く 朝野クウー

「去る者は日々に疎し」、残された家族は悲しみに晒される。まだ、遺児も年少である。しかし、時は容赦なくすぎていく。いつまでも悲しんでばかり居られない。落胆からすこしずつ起き上がる。社会は待っていてはくれない。灰色だった冬日がすぎて春風が吹いてきた。毎年のことだがことしもさくらが咲いた。その桜咲く小学校で遺児は進級した。

 
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